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東京高等裁判所 平成9年(う)1590号 判決 1998年4月08日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人H、同Q、同R、同S、同T、同U連名の控訴趣意書及び弁護人H、同Q、同R、同V、同S、同T、同U連名の控訴趣意補充書(弁護人Q作成の「控訴趣意の弁論書」と題する書面を含む。)各記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴の趣意は、訴訟手続の法令違反、事実誤認、法令適用の誤りを主張するので、以下順次検討する。

一  控訴趣意第一の身柄拘束に関する証拠へのアクセスを拒否し続けたことに関して訴訟手続の法令違反をいう点について

論旨は、被告人は、逮捕されて以来原審公判終了に至るまで、その身柄拘束に関する証拠の開示を求めたのに対し、被告人の身柄拘束手続及び公判手続に関与した各裁判官は、その要求を拒否し続けたが、この開示要求を拒否した一連の手続は、憲法三三条、三四条、三七条二項、一三条、三一条、市民的及び政治的権利に関する国際規約 (以下、国際人権規約という。)一四条三項(b)、刑事訴訟法四〇条、八四条一項、二九四条に違反し、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論は、身柄拘束に関する証拠の開示要求を拒否した一連の手続の法令違反をいうが、その違反の原判決への影響の点については、右証拠の開示が認められておれば、それら証拠を駆使して証人に対して効果的な反対尋問を行うことができ、原判決が認定するような被告人に対する逮捕、勾留の適法性が認められることはあり得なかった、というのである。しかしながら、記録を検討しても、所論がいうように、右身柄拘束に関する証拠の開示が、原判決の被告人の逮捕、勾留の適法性の認定を覆す可能性があったとは認められないので、結局、所論のいう訴訟手続の法令違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえず、理由がない。

二  控訴趣意第二の弁護人申請の証人・証拠の却下等に関して訴訟手続の法令違反をいう点について

論旨は、原審が弁護人の申請した証人、書証等の多くを却下し、かつ、原審裁判長が証人尋問において弁護人の尋問に対して時間制限、介入尋問を多く行ったが、これらは、憲法、国際人権規約及び刑事訴訟法が保障する公正な裁判(武器対等の原則)を侵害する違法な手続であり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかしながら、記録を検討しても、原審における弁護人申請の証人及び書証等の却下の措置、あるいは証人尋問における弁護人の尋問に対する裁判長の時間制限及び介入尋問が、違法なものとは認められないので、論旨は理由がない。

三  控訴趣意第三の証拠能力のない実況見分調書の証拠採用に関して訴訟手続の法令違反をいう点について

論旨は、検察官申請の実況見分調書(甲1号証)は、被告人の供述録取書であり、かつ、令状主義の要請に反する違法な捜査の結果作成されたものであるから、原審が、右実況見分調書を刑事訴訟法三二一条三項を準用して証拠として採用したのは、同法三二一条三項、三二〇条、憲法三七条二項に違反し、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

記録を検討すると、原審は、検察官申請の右実況見分調書について、写真8ないし14を除いた部分を証拠として採用しているが、その採用された部分には、被告人が犯行を再現したという状況を撮影した写真は含まれておらず、また同部分においては被告人の指示説明も実況見分に必要な範囲にとどまっており、原審が証拠として採用した実況見分調書(その一部)が、所論がいうように実質的に被告人の供述調書というものとは認められず、また記録によれば、実況見分も被告人の任意の承諾の下に行われたものと認められるので、原審が右実況見分調書の写真8ないし14を除いた部分を、刑事訴訟法三二一条三項の書面として採用したことに、違法はなく、論旨は理由がない。

四  控訴趣意第四の証拠能力のない伝聞供述の採用に関して訴訟手続の法令違反をいう点について

論旨は、原判決が、検察官申請のポラロイド写真三枚(甲5号証)の撮影日時を認定するについて、同写真を撮影した証人の伝聞にわたる供述を引用しているが、右供述部分は伝聞法則に反して証拠能力がないものであるから、原判決の右認定は、刑事訴訟法三二〇条、憲法三七条二項に違反し、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

記録を検討すると、検察官から被害当日の被害者の負傷状況を立証するものとして申請され、原審が証拠として採用した右ポラロイド写真三枚(浦和地裁平成八年押第二〇一号の1ないし3。当庁平成九年押第四二二号の1ないし3)の撮影日時の認定に関連して、原判決は、撮影者が証人として、右写真の裏面に印字された数字の意味について販売元に問い合わせて、使用したフィルムの製造年月と国内販売のおよその時期を教えてもらった旨供述する部分を引用しているが、右供述中の証人が販売元から聴取したフィルムの製造年月と国内販売の時期に関する事項は、いわゆる伝聞法則の対象にはならず自由心証により判断すべき事柄であるから、右供述部分は刑事訴訟法三二四条二項の適用対象にはならないといえる。したがって、原判決が右写真の撮影日時の特定に関連して、撮影者の右供述部分を証拠として引用しているのは、なんら所論の法令に違反するものではなく、論旨は理由がない。

五  控訴趣意第五の被告人の身柄拘束を適法としたことに関して事実誤認及び法令適用の誤りをいう点について

論旨は、原判決は、罪証隠滅のおそれと逃亡のおそれがあったことを認めて、被告人の逮捕・勾留は適法であったとしているが、その罪証隠滅のおそれを認めるについて前提とした諸事実の認定に誤りがあり、また、存在した諸事実から逃亡のおそれを認めるについて、刑事訴訟法一九九条、二〇七条、六〇条、刑事訴訟規則一四三条の三、憲法三三条、三四条の各法令の解釈適用の誤りがあり、さらに、原判決が結論として被告人の逮捕・勾留が適法であると判断したのは、右列挙の各法令の適用を誤ったものである、というのである。

記録により検討すると、被告人の逮捕・勾留の身柄拘束については、原判決も認定するように、検察官から提出された資料の検討を含む審査がなされて逮捕状・勾留状が発付され、さらに、勾留に対する準抗告、勾留期間延長の裁判及びそれに対する準抗告、数度にわたる勾留取消請求及びその却下に対する準抗告、数度にわたる保釈請求及びその却下に対する準抗告ないし抗告、起訴後の勾留期間更新決定及びそれに対する抗告などがなされて、その都度、身柄拘束の理由と必要性を是認する裁判官ないし裁判所の判断が示されているのである。このように検察官から提出された資料の検討、さらには弁護人からの主張や資料の検討を含めた司法審査が幾度もなされている事情や経過を前提に、原審は、逮捕状・勾留の請求をした検察官を証人として調べ、右請求に当たって自らの判断材料とし、かつ裁判所に提出した資料の点についても尋問を行い、その証言内容等を踏まえた上、被告人の逮捕・勾留については、その理由と必要性が認められて違法なところはない、としているのである。そうすると、逮捕状・勾留の請求に当たって検察官から提出された資料の調べをせず、右請求をした検察官の証人調べによって、被告人の逮捕・勾留の適否について判断した原審の措置に、所論のごとき不当性はなく、また、原審が、罪証隠滅のおそれ及び逃亡のおそれを認定し、被告人の逮捕・勾留の適法性を認めた判断は、是認することができ、原判決に論旨のごとき事実誤認及び法令違反はないといえる。

六  控訴趣意第六の黙秘権の侵害及び弁護権侵害に関して法令適用の誤りをいう点について

論旨は、原判決は、「弁護人らは、本件捜査・訴追は、検察官によって弁護人の弁護活動及びミランダの会の活動を妨害することを目的としてなされたものであると主張する」点について判断を示しているが、その括弧書の中において、当時被疑者であった被告人が出頭を拒否したことが身柄拘束の理由であることを是認する判断をしているが、その判断は憲法三八条一項に違反し、また、取調べに弁護人の立会いを求めた被告人の姿勢と弁護人の弁護活動が、被告人の身柄拘束とその長期化及び公判請求の原因となった、との判断をしているが、それは、結局弁護人の弁護活動を違法なものと断じたも同然で、憲法三四条、三七条三項、三八条一項に違反し、以上の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

記録を検討すると、原判決は、本件公訴提起の適法性を判断した箇所で、その括弧書きにおいて、「被告人が弁護人の立会いがなければ取調べに応じないとの態度を明らかにしたことから、捜査官において、特に本件に至る経緯ないし動機に関し被告人側からも事情を聴取し、事件の真相を吟味していくという作業がほとんどできなかったこともその一因となっていると言うべきである。右のような事態は、捜査官からの任意出頭の要請等に対してこれを拒否し続けた被告人自身の姿勢、態度がもたらした結果ともいえるが、前述の捜査の経過等に照らせば、被告人に対する取調べに弁護人の立会いを求めることを助言し続けたHの活動のあり方にその原因があったことは否定できない。(中略)Hが、一方で弁護活動は被告人のために行われるべきであると述べながら、他方では右のように述べて本件の帰すうを弁護人としての勝利ないし敗北として位置づけ展開してきた本件弁護活動の当、不当はさておき、そのことが一因ともなって、被告人が本件で弁護人に真に期待したところが奈辺にあったかはいざしらず、被告人に対する身柄拘束の理由及び必要性が解消されず、また捜査官において被告人側からの証拠の収集も十分できないまま、結果として、長期間身柄を拘束され、公判請求されるところとなったものと言わざるを得ないから、弁護人らがこれらの事情を不問に付して本件を専ら検察官による弁護人及びミランダの会の活動に対する報復と論難することは本末転倒と言うほかはない。」と判示する。

原判決の右判示は、捜査・公判を問わず、対立当事者である検察官及び弁護人の各行動が他方当事者の行動に影響を与えることがあるのは、当然のことであるとし、弁護人が、自らの考えから捜査段階での弁護活動として一定の方針ないしは活動を選択した場合、検察官としても、捜査官及び訴追官としての立場から、それに対応した活動を取らざるを得ず、それが被告人に不利益に作用することがあり得るところ、本件でも、弁護人の選択した弁護方針ないし活動が、検察官の活動に影響を与え、一定の制約を加えたことは否定できず、その結果、弁護人が被告人にとって不利益とみなすような事態がもたらされたとしても、そのような不利益な結果を招いた一因には、弁護人自身の選択した弁護方針ないし活動があったにもかかわらず、それを看過するかあるいは敢えて無視して、そうした不利益な結果をもたらしたのは、挙げて検察官の責任であると非難するのは、当を得たことではないといっているのであり、弁護人の選択した弁護方針ないし活動の当否自体を論じているのではなく、その選択した弁護方針ないし活動の正当性の主張にこだわる余り、責任の一端が自己側にあることに目をつぶり、一方的に検察官の責任であると非難するのは誤っている、と指摘しているに過ぎない。したがって、原判決が弁護人の弁護活動を違法と判断したとの前提で立論する所論は、前提を欠き理由がない。

七  控訴趣意第七の本件暴行の態様、程度及び動機に関して事実誤認をいう点について

論旨は、原判決が、被害者の被害の状況及び程度に関する証言、並びに本件直後に撮影されたとして提出されたポラロイド写真等に信用性を認め、一方で被告人の供述の信用性を否定して、本来暴行の態様、程度について、被害者の顔面を手拳で多数回殴打し、さらに肩、腰を棒状のもので相当回数強打したものと認定しているのは、事実誤認であり、さらに、原判決が、本件暴行の違法性・有責性の評価に大きく影響する、本件の背景事情である被害者の不貞行為を正しく認定せず、かつ、本件暴行の直接の動機は、被害者の不貞の事実そのものではなく、その虚言を構えて開き直った態度にあるとした上、本件暴行を「執拗かつ悪質な犯行」と評価したのは、事実誤認である、というのである。

所論は、被害者の証言は、その内容自体に不自然さ・不合理さがあり、被害者には偽証の動機も偽証した事実もあり、信用性に欠けるといい、また、被害当日の被害者の被害状況を撮影したものとして提出されているポラロイド写真は、ねつ造されたものであり、たとえそうでなくとも、同写真は被害者が証言するほどの暴行を裏付けるものとはいえず、被告人自身の本件暴行の態様に関する供述は、信用性がある、という。しかしながら、記録を検討すると、被害者が、本件暴行を受けたときの状況及び暴行の態様、程度、さらには被害直後に隙を見て逃れた状況等について述べる証言は、十分信用性があり、また、前記ポラロイド写真は、被害後まもなく被害者の状況を撮影したものと認められ、一方、被告人の本件暴行の状況に関する供述は、本件暴行をことさら軽微なものとしようとしている形跡が認められ、信用性に欠けるといわねばならない。したがって、原判決が本件暴行の態様、程度について、被害者の証言や右写真等によって、被告人は、被害者を床に押し倒し、仰向けに倒れて防御するのみで無抵抗状態にある被害者に対し、その顔面を両手の手拳で多数回殴打し、さらに棒状のもので肩、腰を相当回数強打した、と認定したのは是認することができ、原判決に事実誤認はない。

また、所論は、原判決が、本件の背景事情として被害者の不貞行為を明確に認定せず、被告人の本件の動機は右不貞行為に対する怒りにあったのに、それを認定していないのは、誤っている旨主張する。しかしながら、本件は、被告人が被害者の不貞行為を疑い、それを否定する被害者を追及している中で起きた暴行事件であるから、その違法性の程度を評価する上で意味があるのは、被告人が被害者の不貞行為を疑っていたことに相応の事情あるいは根拠があったか否かであって、被害者の不貞行為の存在を客観的に確定することは、必ずしも必要ないことである。そして、原判決も、被害者の不貞行為を客観的事実としては認定していないが、被告人が被害者の不貞行為について疑いを抱いたことにそれなりの理由があったことは認め、その疑いの上に被害者を追及し本件暴行に及んだことについては、本件暴行の違法性の程度の評価に当たり考慮しているのであるから、背景事情の認定の点において、原判決に判決に影響を及ぼす事実誤認があるとはいえない。さらに、原判決は、「本件暴行の直接の動機は、A子の不貞の事実そのものというより、A子が被告人に対して虚言を構えて開き直ったその態度にあったと認められる。」と判示しているが、本件当時被告人は、いまだ被害者の不貞を確信していたわけではなく、疑いを抱いていた段階にあって、不貞を隠している被害者の態度に怒りを抱き、本件暴行も、自らの疑いを確かめるべく、被害者に対し不貞を追及し自白させようとしている過程において、相手が不貞を認めず反抗的態度に出たことに対する苛立ちと腹癒せから、感情的に出たものと認められ、原判決の右判示も、右と同旨であって、例えば、被害者に対し不貞について反省を迫り諌める行為に出ている過程でなされたものと、径庭があることを示そうとしたものと解され、原判決が本件の直接の動機として認定するところに誤りがあるとはいえず、所論は理由がない。

八  控訴趣意第八の本件暴行の可罰的違法性を肯定したことに関して事実誤認及び法令適用の誤りをいう点について

論旨は、本件は夫婦間の事件であり、本件に至る経緯、動機、態様、罪質、被害の程度、カトリック教徒である被告人の心情等の事情を考慮すれば、夫婦間の自律的解決に委ねれば足り、国家が刑罰を科すほどの違法性はないというべきであるにもかかわらず、原判決が可罰的違法性を肯定したのは、事実誤認であり、法令の適用を誤ったものである、というのである。

しかしながら、本件暴行は、その態様、程度が、前記のとおり、被害者を押し倒し、仰向けに倒れた状態にある被害者に対し、一方的に顔面を手拳で多数回にわたり殴打し、さらに棒状のもので肩、腰を相当回数強打した、というもので、その態様、程度自体からして可罰的違法性を欠くものとはいえない。のみならず、所論は、「法は家庭に入らず」との格言や、「法官は些事を取り上げず」との謂れを引用して、夫婦間の出来事であるから、国家が介入して刑罰を科する必要はないというが、被告人と被告者の間をみると、本件以前から被害者は被告人と別居生活を始めていて、本件はそうした別居生活がなされている中で発生したものであり、本件後は、被告人・被害者間の夫婦関係がより破綻する方向へ向かい、まもなく被害者から離婚の調停が申し立てられ、被告人も、被害者の不貞の相手とみなす男性を相手に損害賠償請求訴訟を起こし、さらに被害者は本件について被告人を告訴している状況や経過が認められ、こうした状況や経過に照らせば、被害者と被告人との間で、本件暴行を不問にして自律的に解決することが不可能な状態に至り、むしろ被害者は被告人の処罰を求めているのであるから、国家の介入が許されないという事情はなく、前記所論は正鵠を得ておらず理由がない、というべきである。

九  控訴趣意第九の本件公訴提起の適法性を肯定したことに関して事実誤認及び法令適用の誤りをいう点に関して

論旨は、本件が起訴に値しない事件であるにもかかわらず、検察官は、弁護人の弁護活動に対する報復として、本件を起訴したものであるのに、原判決が、本件起訴の適法性を肯定したのは、事実誤認であり、かつ、公訴権行使に関する法令の解釈適用を誤ったものである、というのである。

しかしながら、本件暴行が前記のごとく激しく悪質なものであること、本件暴行が被害者に与えた心身両面にわたる影響の程度、被害者が本件の告訴をして処罰を求め、被告人と被害者間で本件について和解することは不可能であったことなどからして、本件が起訴に値しない事案であるとは認められず、また、検察官が所論のごとき意図を持って起訴したものとも認められないので、本件起訴が公訴権の濫用に当たるとはいえず、本件起訴の適法性を肯定した原判決に、事実誤認及び法令の解釈適用の誤りはない。

よって、各論旨はいずれも理由がないので、刑事訴訟法三九六条により、本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 松浦 繁 裁判官 樋口裕晃)

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